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父のこと

実家じまいで出会った、もうひとつの父の姿

minako

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昭和ギリギリ2ケタ生まれの父は、いわゆる典型的な俺様親父。
外面はいいのだけど、面倒なことはすべて母にさせて、家では何もしない人でした。

通勤以外の移動はもっぱら車。
一緒に出掛けて、電車に乗る父を見たことがありませんでした。

銀行員なのに、銀行員だからかなのか、
お金勘定も一切せずに母にまかせきり。
のむこと、食べることが好きで、実家のエンゲル係数は高めだったと思います。

帰省すれば、テーブルいっぱいに並ぶカニやお刺身。
海の幸が豊富な島根で育った父は、海産物が大好きでした。
自然と塩辛いものばかりになるので、父が病気になったのは
酒と塩分の摂りすぎだったんじゃないかと思っているぐらいです。

父はいろいろ「持っている」人でした。
たまの外食で、父のだけ来るのが遅かったり
何かが混入してたり
あげくには忘れられてたり、何かしら起こりがち。
そしてそのたびに激怒する父。
本人は大いに真剣なんだけど、それゆえに滑稽でもありました。

母の入院で実家に滞在していたとき、父の横暴な態度と、
私を“家政婦”と称した父に、大激怒したこともあります。

普通のときならまだしも、自分の家族をおいて、
父と父の犬のために手伝いに来ていた私に対する、父の態度が許せなかったからです。
その日の父の日記にはひとこと、「娘は怖い」と書いてあって、ひどく傷つきました。
(ウソです。ちょっと笑いました)

父が亡くなったあと、
家の建て替えのために部屋を片付けていると、古い手紙の束が出てきました。

父が結婚前に母へ送った手紙でした。

父と母は、結婚するまで離れたところで暮らしていたため、
手紙には、結婚式の段取りなどや体調を労う言葉が書かれていました。
中には、母からの返事がないので心配する一文もありました。

母のほうが筆豆だと思っていたので、返事が少なかったことは意外でした。
私が知っている父の筆跡は、いつも殴り書きのような感じで、
こんなにも丁寧な字が書けるのかということと、その筆豆さに驚きました。

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今、仕事デスクの横に、
自分の名前がついた橋のたもとで笑う、若き日の父の写真があります。
その写真を見るたび、父にも私の知らない時間があったのだと感じます。

家では俺様だった父。
何もしない父。
すぐに怒る父。
それでいて、どこか可笑しかった父。

そんな父にも、誰かを大切に思い、丁寧な言葉を綴っていた頃があった。

ろくにお線香もあげない私を母は嘆くけれど、
その人の知らなかった一面を想像すること。
それも、ひとつの供養の形なのだと思っています。

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