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【第2回】斎藤 和子さん

家人を失った住宅から、ご近所の台所のような食堂へ

子どもの独立や、自分の老後、親のこと――。

暮らしのステージが大きく変わり、ふと立ち止まることが増える50代・60代。
親を見送った後に残された「親の家」の片付けや行く末に、頭を悩ませている方も多いのではないでしょうか。

親の家を活用し、月曜と金曜の週2日、昼食を提供する小さな食堂をオープンした斎藤さん。今回は、その食堂に込めた思いとオープンに至るまでの道のりを伺いました。

「生きること」は「食べること」

―― 食堂を始めようと思ったきっかけは、なんだったのでしょうか?

斎藤: 家人を失った親の家の片付けをするときに、『処分するにはもったいない未使用の調理器具、誰が使うの?と思う大量の座布団、状態の良い座卓や食器棚。加えて佇まいもレトロ感満載のこの家、なんだか食堂でも開けそう!』と感じたことから始まりました。

それは、常々「内なる知力や体力を目一杯使えるのは、60代のこれから10年ぐらいかな」と考えていた矢先のことでした。

また、家族形態が変わり、日々、家族のために家事や炊事をすることもほぼなくなりました。そんな中で、自分を律して生活するのは、なかなか難儀なことです(笑)。
ひとり分の食事、自分のためだけにおいしい料理を作るのはかなり面倒臭い。外食や買ってきたお惣菜も口に合わないし。おまけに偏った食生活を続けていたら、体調も崩してしまいました。

ならば、脱・私のおざなり食生活「お金をいただいて人のために作る食事なら、自分の食生活も立て直せるかもしれない」と考えたのも、きっかけのひとつです。
自分で作れば、原材料や添加物など配慮も整いますから。

「台所の延長線」で作る気取らない定食。できるだけ自家製と安心にこだわる。

「食堂にしたもうひとつの理由」

―― カフェなど他の形態もある中で、なぜ「食堂」を選ばれたのですか?

斎藤 喫茶やスイーツでなく食堂にした理由は、自身の食生活再生と、もうひとつの理由があります。
過日の東北の震災により、福島県双葉町から埼玉に避難してきた方たちと、月2回ランチをする集いが十数年続いているのですが、私はその昼食作りの一員で、2時間で30人分ほどの食事を作っています。

献立を考え、材料はどのくらい必要か、どういう順序で作るのがベストか、大人数の料理はいろいろな段取りが必要です。この活動から、みんなのための食事を作る経験を重ねてきました。
気の合う仲間と談笑しながらの食事は、人を豊かにしてくれるものだと思います。

まるで、ふらっと実家に立ち寄ってご飯を食べているような感覚に。

開業までの道のり

―― 開業を決めてからオープンまではどれくらいの期間でしたか?

斎藤 漠然とお店やるかも知れないと意識する前に、この家は壊さずに活用しようと考えていました。汚れたトイレを新調したり、押入れを壊してフリースペースを拡張したり、へたった畳を新調したり、使えそうな畳はござを替えるなど、片付けが終了した部屋から改修を始めました。

食堂をやってみようと決めたのは、オープン1年前くらいです。そして、一気に動き始めたのは3ヶ月ほど前からです。

―― 一番大変だった準備は何でしたか?

斎藤 私の場合は、実家の家屋からのインスピレーションで始まっているので条件も良く、飲食店営業許可の手続き諸々を経ても、それほど大変な作業はありませんでした。 あえて言うなら、家中の拭き掃除と車を停められるように庭を整備したことが大変でしたね。

亡くなったお父様のルーティンだった、朝晩の餌やり。

―― お店の宣伝はどのようにされたのですか?

斎藤 ご近所にチラシを挟んだポケットティッシュ450個をポスティングしました。夫にはポケットティッシュにチラシを挟む作業を、ポスティングは、友人にもお願いしました。結局のところ、オープン前から甘えてしまった次第です。

「もう辞めよう」と思ったことも

―― 当時の周囲の反応はいかがでしたか?

斎藤 食堂をオープンすることについては、家族は傍観していました。
そうは言ってもいざ準備が始まると、夫は作業に巻き込まれ、結構手を貸してもらうことになりました。

オープンしてからはホールにも駆り出されて、お店の雰囲気を体感してもらっています。
でも、食堂を始めたおかげで、家でも目新しいメニューが食卓に上ることもあり、夫もそれなりに恩恵は受けているみたいです(笑)。

構想時からの懸案事項として「もしお店をやったら、食堂は一人ではまわせないな」というものがありました。 そのため、メインのサポートは友人にお願いしましたが、十分な待遇も用意できないのに友人に声をかけて、貴重な時間を割いてもらうことへの懸念はずっとありました。
案の定、オープンして1ヶ月を経た頃には「みんなを巻き込んで、お店なんか開いて私は何をやっているんだろう。あぁ、もう辞めよう」と思うようになっていました。

まさにそのタイミングで、単身赴任中の夫から「どう? 食堂はうまくいってる?」と電話がきて、そのときの心情を話すことになりました。
夫からは「え? もう辞めちゃうの? もう少し続けたら?」と。
夫は友人たちとも顔見知りで、「みんな巻き込まれて迷惑って思ってないかもよ?」と助言してくれて、その言葉で、もう少しやってみようかとなりました。

最近は余裕も生まれ、友人のサポートなしでワンオペでこなす日もあります。ですが、手伝ってくれた友人への申し訳なさと感謝の気持ちは、今でも忘れることはありません。

また、大変頼りになるご近所さんもいらっしゃいます。ご家族で食べに来てくださるだけでなく、奥さまは調理やホールまで手伝ってくださり、そのうえ、お知り合いにも声をかけてくださいました。ご紹介いただいた方は、今ではお店で一番の常連さんになっています。

食堂を通して見えてきたもの

―― 想像していたことと違っていた部分はありますか?

斎藤 お店に入るのは、思いのほかハードルが高いことのようです。
「ポケットティッシュのチラシをもらってから、入る決心をするまで3ヶ月かかりました」という女性もいらっしゃいました。

食堂とはいえ、普通の戸建住宅ですから、よそのお宅にお邪魔してお昼を食べるというのは、お客様にとって勇気と勢いがいることなのだと知りました。確かに、どんな人がやっているのか分からないと、入るのに少し警戒してしまいますよね(笑)。

―― 最後に、この食堂を、どんな場所にしていきたいですか?

斎藤: 家人を失った住まいは、空気が淀んでいて、足を運ぶたびにそれを哀しく思っていました。 淡々と片付けを進める最中、「解体するのは先にして、父がこしらえた家を近所の方に見てもらおうかな」「何か上手い活用方法はないかな」と考えるうち、「地域に溶け込んで、自然に人が集まれる空間を提供できれば、この家に新しい存在価値が生まれるのではないか」と思うようになりました。

同じ空間でお昼を食べて、なんとなく顔馴染みになって、ゆるーく繋がりができる。ひとりでふらっとでも複数でも、どなたもウエルカム。「お昼作るのメンドクサイ、今日のお昼はいしはら食堂でいいか」って足を運んでいただけたらうれしいですね。

そして、家人を失った住まい、いまは空気が淀んでいませんよ!(笑)

一歩足を踏み入れると、どこか旅館を思わせる趣のある空間。
大工さんであったお父様のこだわりがつまった一室。
長く猫と暮らしてきた斎藤さん。実家を見守ってきた最後の1匹の猫を、「おかあさん」と呼んでいます。
Interviewer 斎藤
Interviewee

斎藤 和子 さいとう かずこ

「家のコト・2級建築士事務所」代表 /「いしはら食堂」店主

製図専門学校を卒業後、設計事務所や店舗設計、販促POP制作などに従事。出産後は働き方を柔軟に模索しながら、印刷会社でDTP業務、大手企業の不動産建設部門や工務店勤務を経験する。

48歳のとき、個人事業として住まいの改修・相談を請け負う「家のコト」を開業。現在はその事業の一環として、空き家となった実家を活用した「いしはら食堂」を営む。

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